雲仙の歴史・史蹟



雲仙の開山と行基菩薩

◯ 温泉山(うんぜん)開山と行基菩薩
 雲仙を開山したのは、奈良時代の僧「行基」(668~749)だと言われています。高野山や比叡山よりも100年も早く、今から、およそ1310年前の701年(大宝元年)に開山したと言われてます。
 行基像は満明寺の上の公園に人知れず、ひっそりと立っています。雲仙は、当時から修験道のメッカで数千人ものお坊さんが在居していました。島原半島全体が温泉山(うんぜんざん)の支配下と思われる程繁栄していました。女人禁制の日本有数の霊山でした。
 しかし十六世紀半ばになると、キリスト教が島原半島へ伝来,定着し始め、領主有馬晴信の改宗により、仏僧への弾圧と寺社仏閣の破壊が決行されました。キリスト教会やセミナリオの建立には、在来の仏教寺院を解体した資材が使われた。残念な事に貴重な仏像も殆どが焼却されてしまいました。


行基墓

◯ 行基の墓(伝承)
 行基は百済系の渡来氏族と末裔だと云われ、その伝承の墓は雲仙の原生沼近くの寺の馬場近くにありましたが数年前に満明寺の境内に移動されました。行基開山の伝承の寺院は日本全国に多くあり、温泉が関係する場所にその伝承が伝わっています。

歴史ブログ(三鈷の松)下画像クリック



史跡・歌碑 Googleマップ 下画像クリック

雲仙山 満明寺・温泉神社

満明寺・大仏殿

満明寺・釈迦大仏

雲仙八十八ヶ所めぐり(約15分)

温泉神社鳥居


 

温泉神社門柱

温泉神社社殿


一切経の滝

一切経の滝・鳥居

雲仙お山の情報館から小地獄温泉まで、九州自然歩道を徒歩約20分。そして小地獄温泉から宝原方面へ車道を3分程歩いていくとすぐこの鳥居が見えてきます。三鈷の松の案内板があり
 ここから、一切経の滝まで約20分。途中には、左手植林の手前に空海さんの伝説がある三鈷の松があります。空海さん伝承の地には全国にいくつか三鈷の松があります。
 

一切経の滝


僧行基は、一切経の地に堂を建て仏道修業の道場と定め、一切経の経文を筆写しこの地に埋めた(滝に流したとの説もある)と伝えられています。当時の苦行の様子は、一切経の滝や行基洞、座禅石などに伺い知ることができます。
 

三鈷の松


普通の松は、葉が二本なのに“三鈷の松(さんこのまつ)”は葉が三本に分かれています。この松は高野山にだけあると思われていました。三鈷の松がこの地にあるのは、高野山との交流が続いていたころ、雲仙の修行僧の体の保護を願って、高野山の僧が移植したのではないかと歴代の高僧の説が残っています。詳しくHOMEの歴史ブログにアクセスして下さい。
 

その他・史跡

鬼石・旧八万地獄


東西南北十二支で現している古い雲仙の絵図に、鬼石の場所が記されてあります。温泉山縁起にも「この山の難林王は四面の大鬼なり、行基菩薩に逢いに奉り種々の問答あり又悪鬼あり男鬼の名は空仙鬼、女鬼の名は難林王なり、此の鬼等々を加持すれば即ち鬼石となる。」と記されてあります。(温泉山縁起)

片足鳥居・札の原


かつて温泉神社が四面社と呼ばれていた頃の第一の鳥居で文政10年(1827年)に当時の北有馬村の八木与一兵衛氏によって建立されたものです。その頃雲仙はこの鳥居の先から女人禁制でした。
 

大黒天


大黒天(昭和40年6月9日:西日本新聞記事から)
建設中の雲仙別所ダム北東の通称大黒山から、巨岩に彫り込まれた大きな大黒天磨崖仏が見つかり話題になっている。ダムの中央を東西に通じている水没予定の道路を抜けて大黒山の深い森林を二百メートル程進むと、目いっぱいに広がる巨岩に突き当たる。巨岩の裂け目の奥に大黒天が彫り込んである。俵に乗って、右手に打ち出の小づちを持った像は高さ約2.5m。その上には見上げるほどの巨岩が積み重なっている。京都仏教大斉藤彦松教授が「大黒山に隠れた大黒像がある」と地元の人から聞いて調査した結果、手法・風化の度合いから三・四百年前に彫られたものらしく、大きさでは他に例がないということがわかった。